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連なる「いっぱい」に、母性の叫びを聴く。
おめでたい話題は筆も軽い。ノーベル物理学賞が、素粒子の権威、南部陽一郎さん(87)と、小林誠さん(64)、益川敏英さん(68)の名大同窓コンビに贈られる。さらに下村脩さん(80)の化学賞も決まった。日本の研究水準が改めて世界に認められたと喜びたい▼物理学賞の授賞理由は「対称性の破れ」の仕組みや起源を発見した業績という。ここで筆は重くなる。破れといえば当方、脱いだズボンの股に発見するのが関の山。お三方と重なるのは、見つけてハッとすることくらいだ▼なんでも、73年発表の小林・益川理論は「クォークは6種類」との予言とか。物質を形づくるこの最小粒子は当時、三つしか確認されていなかった。さらに三つが見事に見つかった▼熱血漢、益川さんの発想を小林さんが冷静に固めたと聞いた。浴室で「6」がひらめいた益川さん。風呂は夜9時36分、出勤は朝8時2分が習いと細かい。「他と違うこと」が偉業の糧らしい。この人が「しゃぶり尽くした」という論文の主、南部さんもしかり。米国籍を得てシカゴに住まう▼やはり米国が拠点の下村さんは、生物を発光させるたんぱく質をクラゲから突き止めた。今では、細胞内を動く分子を追跡するための目印として、世界中の研究室で使われている▼宇宙の謎を解くカギが素粒子に宿り、生命の仕組みを明かす道具がクラゲに眠る。暮らしから遠い題材を生涯の友とした無類の頭脳のお陰で、こうして知的ロマンにしばし浸れる。優れた師匠がそこにいるのに昨今の理科離れ。もったいなさすぎる。
せっかくの話題なのに、”もったいなさすぎる” 全然まとまってないし、得意の引用はどこにった?
相場の格言に「見切り千両」がある。下げの局面では早めに手放すべし、それで大損を避けられるなら目先の損は値千金、といった意味だ。昨日の朝方、東証株価が約5年ぶりに1万円を割った。泣く泣く格言を唱えた向きが多かったとみえる。終値は戻すも、しばらくは見切る勇気を問われよう▼米国発の金融危機が、雇う、作る、売る、買うといった実体経済のサイクルを冷やし始めた。経済の血流が滞り、症状が全身に及びかねない事態に、産業界や投資家、消費者は弱気を持て余す▼国会審議も、株価を横目で見ながらとなった。麻生首相に対する野党は、党首級を立てた。急を告げる経済情勢を受けて、質(ただ)す方、答える側とも「暮らし」を軸に、有権者を意識した物言いだ。ここは危機感ほとばしる論戦を期待したい▼長らく「下げ局面」にある政治とはいえ、日本に住み続ける限り「見切り千両」とはいかない。世界の大乱から暮らしを守れるのは誰なのか、いま少し我慢し、与野党の攻防を見極めよう▼ところが、解散・総選挙の日程は逃げ水のごとし。来るべき選挙を草野球に例えれば、調子の上がらぬホームチームが試合開始に二の足を踏んでいるところに、金融不安の雨粒が落ち始めた図である。いつまで待たされるのか、とんと見通しが立たない▼国際経済と、次の総選挙。あすの日本を左右する二つであろう。前者に私たちの意思は届かない。後者については、時期はともかく、結果は国民の手中にある。経済の空模様を気にかけつつ、その日を待つとする。
解散ありきの野党寄りのコメント。印象操作。
相場の格言に「見切り千両」がある。下げの局面では早めに手放すべし、それで大損を避けられるなら目先の損は値千金、といった意味だ。昨日の朝方、東証株価が約5年ぶりに1万円を割った。泣く泣く格言を唱えた向きが多かったとみえる。終値は戻すも、しばらくは見切る勇気を問われよう▼米国発の金融危機が、雇う、作る、売る、買うといった実体経済のサイクルを冷やし始めた。経済の血流が滞り、症状が全身に及びかねない事態に、産業界や投資家、消費者は弱気を持て余す▼国会審議も、株価を横目で見ながらとなった。麻生首相に対する野党は、党首級を立てた。急を告げる経済情勢を受けて、質(ただ)す方、答える側とも「暮らし」を軸に、有権者を意識した物言いだ。ここは危機感ほとばしる論戦を期待したい▼長らく「下げ局面」にある政治とはいえ、日本に住み続ける限り「見切り千両」とはいかない。世界の大乱から暮らしを守れるのは誰なのか、いま少し我慢し、与野党の攻防を見極めよう▼ところが、解散・総選挙の日程は逃げ水のごとし。来るべき選挙を草野球に例えれば、調子の上がらぬホームチームが試合開始に二の足を踏んでいるところに、金融不安の雨粒が落ち始めた図である。いつまで待たされるのか、とんと見通しが立たない▼国際経済と、次の総選挙。あすの日本を左右する二つであろう。前者に私たちの意思は届かない。後者については、時期はともかく、結果は国民の手中にある。経済の空模様を気にかけつつ、その日を待つとする。
ひさびさに天声人語らしい。安心できる。
「まだるっこい」という言葉は「間怠(まだる)い」から生まれたという。広辞苑は「手間どっておそい。手ぬるい。のろくさい」と散々だ。じれったい話は、金もうけでは時に命取りになる▼振り込め詐欺を100件ほど試み、ことごとく失敗したグループが摘発された。ニセ息子が電話で、株を買うのに会社の金を使い込んだのがバレた、と助けを請う手口。押収された手書きの台本を見て、こりゃだめだと思った▼〈で、先週のコトなんだけど、新規上々株の抽選に当って、どーしてもその株がほしくなっちゃって……〉〈最初はすごく怒られたんだけど、全部話したコトもあって、お前もこんな時に処分されても困まるだろって言ってくれて……〉▼上場株の誤字や、妙な送り仮名には目をつむるとして、切迫感がまるでない。大金が必要になった経緯がぐだぐだと続き、用件の「お金貸して」は最後の最後だ。長広舌を聞くうちに、「親」も我に返って通報したのだろう▼捕まった4人の男は20〜24歳。振り込ませる裏口座を用意する金もなく、だませたと思って友人役が集金に赴いたところを御用となった。何億円もせしめた集団に比べれば素人だが、このレベルの連中がうごめくほど「だまされ市場」は大きい▼今年の振り込め詐欺被害はもう200億円を超え、去年の4割増しのペースだ。プロは台本などに頼らない。相手の慌てぶりを測りつつ、ああ言えばこう言うで、間が怠くなることもない。親心や、ささやかな欲につけ入るべく、彼らは何枚もある舌の先を研いでいる。
閉めはきまってる.
本紙の声欄を読んで、ときおり切り抜いている。先ごろの東京本社版に「虫たちの最期 気をもむ晩夏」という投書があった。横浜の高校生石井杏奈さんは、アスファルトの上で動かない昆虫などを見つけると、拾って土の上に移すのだという▼「せめて彼らが最期に横たわる場所が自然物の上であってほしい」と書いていた。命を終えるものを土に戻してやる。そうすれば死骸(しがい)は他の命を育む。やさしい人柄とともに、「命の循環」が分かる人なのだろうと推察した▼秋が深まれば、今度は枯れ葉がアスファルトに散る。集められ、焼却されるものも多い。野山なら散り敷いて生物のすみかになり、分解されて土に溶けていくのに、都会の落ち葉はそれもかなわない▼『葉っぱのフレディ』という絵本を覚えておられるだろうか。生と死や転生が、木の葉の一生を通して語られる。枯れて散っても、土に還(かえ)って木を育てる力になる。大人の共感を呼び、これまでに110万冊も売れた▼刊行から10年になるのを機に、版元の童話屋(東京)がささやかな試みを始めるそうだ。22日からの絵本の売り上げから、1冊につき200円を、南米アマゾンの森の再生に寄付する。1冊あたり5本の苗木が、危機に瀕(ひん)した森に植えられるという▼命は姿を変えて生き続ける。それを大自然の設計図が寸分の狂いもなく司(つかさど)っている——と絵本は説く。ひょっとして石井さんも読んだのかな、と想像してみた。虫も葉っぱも侮るなかれ、である。それぞれの命をつないで地球の生態系を担っている。
ムリに格好つけた文章になっておらず、好印象。 命の循環。本来の表現より、抽象度の高い言葉を選ぶことで、文章のアクセントになる。
長渕剛さんの名曲「とんぼ」は都会への憧(あこが)れと挫折を歌う。〈死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローが/知らん顔して黙ったまま突っ立ってる〉。花の都に寄せる片思いは多くが裏切られ、意のままにならぬことばかり。でも無様に、武骨に生きてゆく▼長渕さんと、スタンドを埋めた3万人の大合唱に送られ、オリックスの清原和博選手が引退した。華あり、涙あり。23年の現役生活を、「東京のバカヤロー」ではなく故郷大阪で終えた▼最終戦の相手、ソフトバンクの王監督がかけた言葉は「生まれ変わったら、同じチームでホームラン競争をしよう」。85年のドラフト。王さんが指揮する巨人軍の指名を信じて裏切られた男を、言葉で抱きしめた。同じシーズンにユニホームを脱ぐのも何かの縁だろう▼525本の本塁打を重ねながら「無冠」に終わった。最後の打席は、自身の歴代最多を更新する1955個目の三振。直球を投げ続けた杉内投手に頭を下げた。タイトルより大切なものがあると教える、美しい空振りだった▼「憧れの球団」に移ってからは故障に泣いた。投手がしつこく内角をえぐると、仁王立ちでにらみ返した。だが、そうした人間味や男気にひかれるファンもまた多かった。インタビューの受け答えにも、飾らない人柄がにじんでいた▼日本のプロ野球は、大リーグへの人材流出で危機にある。清原選手のヒーロー伝説、あるいは反骨の物語を、ここで終わらせるのは惜しい気がする。どうにもならない不運を力にする生き方の、続きを見てみたい。
スポーツがテーマ。珍しい。が、かならずなにかを引用するのは変わらず。 巨人は清原を取らなかった。間違ってはなかったのではないか。
〈路上で寝るときは段ボールから顔を出しておくべし〉。本紙生活面に、男性ホームレスの「助言」が載った。その箱の中に生身の人間がいると知らせないと、通行人に蹴(け)られるのだという。いつの世も野宿はつらい▼夜更けから明け方の大都市は、ささやかな屋根と寝床を求める人であふれる。終電を逃した勤め人、歓楽街にたむろする少年少女、帰るべき場所のない日雇い労働者もいよう。きのう煙に包まれたのも、そんな「宿」の一つだった▼大阪の個室ビデオ店の火事で、男性客15人が亡くなり、放火や殺人の疑いで客の男が捕まった。1畳余りの個室が32。8割ほどが埋まっていたという。共用のシャワーがあり、1500円で一夜を明かせるとなれば、ホテル代わりの利用も多くなる▼漂泊の俳人、種田山頭火は〈泊(とま)るところがないどかりと暮れた〉と詠じた。こうした境地に、誰もがたどり着くわけではない。かくして「雨露をしのぐ+α」のサービスが繁盛する。より安く、より気持ちよく朝を迎えたいという需要が、眠らないネットカフェやマンガ喫茶を新手の宿に変えてきた▼惨事のたびに防火や避難の規制は厳しくなるが、都市は生き物。色んな「屋根と寝床」が料金や快適さを競い、新しい夜を提案し続ける。「悪意」まで封じる防火策を店に求めるのは酷だろうか▼「段ボールから顔を出す」ような用心が要るのでは、お金を払う意味がない。とはいえ、利用者もせめて、逃げ道を確かめるなどの自衛策を講じたい。すでに「どかりと暮れる」季節である。
なんともコメントしづらい。
一説によると、きのうはある野球用語が米国で生まれた日とされる。1885年9月30日、シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)の優勝を左右する試合。7回に打ち上げた平凡なフライが風に乗り、決勝ホームランになった。「ラッキーセブン」の始まりだ▼昨日の東京株式市場は前日のニューヨークでの暴落を受け、ラッキーどころか3年ぶりの安値に沈んだ。史上最大というNYの下げ幅は777ドル。スロットマシンなら「トリプルセブン」の大当たりだ。お金の神様も皮肉がきつい▼火元は金融安定化法案を否決した米下院。政府と議会幹部の合意もむなしく、有権者の怒りを恐れた議員が造反した。特に共和党は「7」割近くが反対に回り、ブッシュ大統領の面目はない。逆転ホームランになるはずの一打が、世論の風に戻されて凡飛球である▼危ないもうけ話の果てに米金融機関が抱えた巨万の不良資産。それを最大「7」千億ドルの公的資金で買い取る策に、国民の反発は強い。あとは自伝を書くだけの大統領と違い、選挙を控えた議員は風が気になる▼「下院議長は女性。ちょっと男性とはひと味違うような気がする、リードが。それで破裂した」(笹川尭・自民党総務会長)の言はいただけない。危機は世界に飛び火しており、男とか女とか気楽に論評している時ではない▼米国の対策が動くまでは神頼み。それもこれも、楽してもうけようとしたツケだろう。元来「7」は神々しい数とみえ、戒めにも使われる。例えば「七つの大罪」に強欲というのがある。
なにかにかけるのがまずは鉄則。ただし、締めは無理矢理すぎて、30点。
突然の政権投げ出しが、あたかも政治の季節を開いたかのようだった。解散風が強まり、政界も目まぐるしく動いた9月の言葉から▼「やめた」ですむなら楽なものと、多くの人が首相のご身分をうらやんだ。青森県のリンゴ農家、三浦通さん(60)は「6月の雹(ひょう)害でほぼ100%の実に穴やへこみができた。それでも作業をやめられないし、畑を投げ出せない」。傷ものは安くたたかれる。肥料などの借金を返せるかどうかを心配する▼後任の自民党総裁選には5人が立った。ところが、党の思惑と裏腹に国民は冷めていた。芸能リポーターの梨元勝さんは「役者不足。論争してみせて盛り上げようとしているけど、結論の見えているレコード大賞」▼はたして麻生氏が大勝して新総裁に。党員による都道府県の予備選挙では、「小沢一郎」や「オバマ」のほか、「自民党はもうダメだ」(栃木)、「どうせすぐやめるんだろう」(東京)などと書かれた投票用紙もあった▼その麻生内閣は3分の2を世襲の面々が占め、「坊ちゃん内閣」とも揶揄(やゆ)される。長野県の山里で妻と暮らす吉沢健さん(75)は「頑張って生きてきたんだもん。国の政治を担う人にも優しさを感じたい」。素朴な願いは2世3世に通じるだろうか▼愛知県の加藤淳さん(68)は本紙声欄に、政治家になってほしい人と、なりたい人の差が目に余ると寄せた。「もっと正直な人、もっと誠実な人。重厚な人、聡明(そうめい)な人……思索する人、もっと私利に疎い人」。無いものねだりでしょうか。麻生さん、小沢さん。
坊ちゃん内閣かぁ。2世は2世の苦労があるはず。
「○○で愛を叫ぶ」といったイベントがある。キャベツ畑だったり、日比谷公園だったり。その一言を大声で発するためだけに、遠路はるばる同好の士がやって来る。心で温め、何度も唱えてきた思いは、観衆を得て腹の底から響き渡る▼「それ」を言わんとして、大臣に就いたとしか思えない。「日教組をぶっ壊すために火の玉になる」。中山成彬氏は熱く叫び、目にもとまらぬ早さで国土交通相を辞任した。この内閣のあすを暗示するかのような、在任約90時間の幻影だった▼日教組が余程お嫌いとみえる。「日本の教育のがん」だという。だが、憲法21条は結社や集会の自由を保障している。気にくわない組織でも、合法なら認めるのが民主主義のイロハ。東大法学部を出て知らないはずはない▼どんな日教組観を持とうが結構だが、外から「解体」できると考えるのは危ない思想だ。それも畑で愛を叫ぶがごとく、思いの丈をぶちまけた。浅慮とか、正論だが立場をわきまえずのたぐいではない。暴論ところ構わずである▼中山氏は勢い余り「小沢民主党も解体しなければ」と言い放った。一連の発言はしかし、どう見ても与党の足を引っ張り、民主党を利するだけだろう。国会議員の見識ばかりか政治家としての大局観を欠いている。任せた首相の眼力を問いたい▼地位に似合わぬ面々が色んなお粗末をやらかし、失笑に送られ退場していく。面白うてやがて悲しき自民劇場。こんなものを長々と見るために納税してるんじゃないぞ。永田町の中心で、そう叫びたくなった。
期待している天声人語節はないものの、なかなか面白い。結社や集会の自由は確かに大事。朝日新聞伝統の立場としての論調なのかどうなのか見極めないと。
「驕(おご)れる者は久しからず」は古来不変のことわりだが、豊臣秀吉は「驕らずとても久しからず」と、皮肉めかして世の常を言い表したと伝えられる。米国の金融業界がどちらだったかは知らない。いずれにせよ、複雑な「錬金術」にかまけた果ての、大証券会社の破綻(はたん)である▼リーマン・ブラザーズの負債総額は実に60兆円を超え、過去最大の破綻になった。他の金融大手への連鎖も心配されている。「フー イズ ネクスト(次はどこだ)?」と、ニューヨークの金融街などは戦々恐々らしい▼業界は90年代から、グローバル化に乗って新たな金融商品を次々に作った。そこへ、世界中で余っているカネが流れ込んだ。巨万の富を生み「わが世の春」を謳(うた)っていたが、商品の一つのサブプライムローンでつまずいた▼先行きへの不安から、米国内には「暗黒の木曜日」になぞらえる声も起きているという。1929年のその日、大恐慌の引き金になった株暴落が始まった。このときも「金ぴか時代」と言われた空前の繁栄から、坂道を転がっていった▼東洋的な無常観とは無縁だったか、当時のフーバー大統領は永遠の繁栄を国民に約束していた。「どの家にも2台の車を」を標語に選挙に勝った。だが失業者があふれ、期待は恨みに取って代わられた▼今、米国に引きずられるように世界経済は変調を来している。専門家によれば、このうえドルが暴落するのが最悪のシナリオらしい。株や投資に熱心な向きはなおのこと、対岸の火事を決め込める状況では、もうないようである。
福田首相は能が好きかどうか知らないが、世阿弥の書いた能楽の秘伝書『花鏡(かきょう)』に「離見(りけん)の見(けん)」という言葉がある。舞台で舞う自分を見物人として冷静に眺める、もう一つの目が必要という意味だ▼「自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違う」と辞任会見で見えを切った福田さんは、だから能役者向きかもしれない。ならば辞任表明後、記者団の「ぶらさがり取材」に1週間も応じなかった沈黙は、自身の目にどう映っていたのだろう▼国民に意思を伝える機会を、自らつぶしてきたことになる。おととい久々に姿を見せ、だんまりの理由を「(自分の発言で)政治の情勢が影響されてはいけない」からと述べた。この「政治の情勢」は、翻訳すれば「政局」にほかなるまい▼つまり「党利によろしい環境」であって、国民のための政治ではない。思惑含みの辞任を質(ただ)されたくないのだろうが、「首相」のバトンはまだその手にある。あとは野となれと、国政への責任を忘れてもらっては困る▼福田さんが総裁に選ばれた時、小欄はやはり世阿弥の『風姿花伝』から一節を引いた。「たとえ跡取りでも、不器量の者には奥義を伝えるべからず」。そして増えつつある世襲政治家の志や責任感を案じた。1年たって、不安は当たったようである▼「一寸先は闇」は何も政界の専売ではない。災害あり、経済不安あり、国際問題あり。国民生活のいたる所で、あす何が起きるやも知れない。総裁選の祭りに浮かれず、最後まで褌(ふんどし)を締めてかかるのが、せめてもの奉公だろう。
かならずよくわからない言葉を引用するなぁ。党にとって良いことは結局国民のためになるって考えもなくはない。強引かな。
先ごろ小欄で触れた哲学者の和辻哲郎は、日本の風土の特徴として「湿気」を重く見た。朝霧や夕靄(もや)、たなびく霞(かすみ)など、湿潤な大気の濃淡は、日本人の情緒に深く結びついてきたと考察している▼霧の中から現れる川舟。おぼろに潤む月——。ものの輪郭をぼかす湿潤は、季節季節に日本人の琴線をかき鳴らしてきた。とはいえ、暑い季節の湿気は風雅とはいかない。このところ列島には湿った空気が流れ込み、関東以西は蒸し暑さが居座っていた▼しっとりなら風情だが、じっとりは不快である。その天候が昨日から変わった。大陸の高気圧が乾いた空気を連れてきた。まだ真夏日の所もあるが、物陰は涼しく、心なしか空も高い▼〈夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ〉と古今和歌集にある。二つの季節が行き交う空を「ゆきあいの空」と呼ぶ。体ひとつで暑さに耐えるしかなかった古人は、秋が夏を追いやる日を待ち焦がれたことだろう▼『徒然草』の兼好法師は、季節の推移に万物の流れる姿を見た。〈春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通い……〉。同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる▼さて人の世に目を転じれば、政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろう。そして角界には、秋風どころか嵐が吹きすさぶ。事が事である。霞よろしく責任をぼかす逃げ技は今度ばかりは使いようもなかった。
ポイントは、昔の句を入れる。タイムリーな話題。内容をかけあわせる。
結婚して子どもがいる女性にとって、40代後半から60歳前後は務めも望みも多い充実期だろう。子育ては仕上げに入り、家計と格闘しながらも余暇は増えていく。夫と老後を語り、孫に癒やされる人もいよう。人生は盛りの夏から、実りの秋へと移る▼その輝くべき14年を病床で過ごし、いや闘い、河野澄子さんが亡くなった。94年6月の松本サリン事件で倒れて以来、うらみや怒りの一言もないままにだ。チューブにつながれて還暦を迎えることで、宗教をまとったテロの狂気を告発し続けた▼異変を真っ先に通報した夫の義行さん(58)は、妻の容体を気遣ういとまもなく、警察とマスコミに容疑者扱いされた。報じる側に身を置く者として、こうべを垂れるほかない▼義行さんは報道被害についての講演や著述の傍ら、14年を妻の介護に費やした。ある日、家族で行った鎌倉の話をしながらマッサージをしていたら、澄子さんが涙を流した。気持ちの高ぶりか、ただの生理反応か。「私は、感情だと思うことにした」(『妻よ!』潮出版社)▼事件当時、年子の1男2女は高2から中3だった。何年かで訪れる、夫婦だけの熟した時に備えてだろう。澄子さんは木彫りや書を習い始めていた。海外旅行をするならベネチアがいい、とも▼改めて、人を危(あや)めることの罪深さを思う。あったはずの歳月が、幾多の喜怒哀楽もろとも失われる。「好きな音楽を流し、3日間は家族だけで送りたい」と夫。きょう立秋の蝉(せみ)時雨も加わり、人生の夏から先を奪われた女性が安らぎの地に赴く。
なんともコメントしづらい。
その悲報に、「シェー」が小さく出た。ギャグ漫画の神様、赤塚不二夫さんが72歳で亡くなった。ひょっとして、ご本人は「これでいいのだ!」であろうか。ここ10年、大病が重なり覚悟はしていたが、赤塚ギャグで育った世代としては万感の「シェー!」で送るしかない▼最初の衝撃は「おそ松くん」だった。おフランス好きのイヤミ、おでんのチビ太、デカパンやハタ坊。ところ構わず出てくるおかしな脇役と、めちゃくちゃな展開に笑い転げた▼読み切りで売れ始めた赤塚さんに、「少年サンデー」が4週連載を注文したのは1962(昭和37)年。「どうせ4回じゃないか、思いっきり暴れて終わってやろうじゃないか」(自伝『これでいいのだ』)。この勢いに悪ガキたちは打ちのめされ、「おそ松くん」は連載5年を超す出世作となる▼それまでの漫画がのんびりした落語調なら、急テンポのドタバタ映画。ページを繰るたび、理屈抜きの笑いが飛び出した。そんな赤塚さんの世界は、論理や常識で動く世の中が一方にどんと構えていてこそ、輝いたように思う▼スピード感あふれるナンセンスは、60〜70年代の日本の元気にも共鳴した。いま匹敵する才能がいても、漫画以上に不条理な現実に埋もれるか、よどんだ空気に浮いてしまうのではないか▼映画監督の伊丹十三さんが赤塚さんのすごいところとして、「世の中の方が彼のマンガに似てくるもんネ」と核心に触れたのは33年前だ。壊れっぷりに拍車がかかる社会を残し、昭和を「線」で笑わせた鬼才が旅立った。
マンガを線と表現する点。こういうテクニックは何と言うのだろう?この辺をちりばめると天声人語っぽさが強まるな。
鶴彬(つる・あきら)という川柳作家を、どれほどの方がご存じだろう。昭和の初め、軍部などを批判する川柳を次々に作った人だ。特高に捕まって勾留(こうりゅう)されたまま、1938(昭和13)年に29歳で死んだ。今年が没後70年になる▼軍国色に染まる時代に立ち向かうように、その句はきっぱりと強い。〈屍(しかばね)のいないニュース映画で勇ましい〉〈銃剣で奪った美田の移民村〉〈手と足をもいだ丸太にしてかえし〉。2句目は旧満州への入植を、3句目は、手や足を失った帰還兵を詠んだものだ▼資本家にも痛烈な目を向けた。〈みな肺で死ぬる女工の募集札〉。紡績工場では、過酷な労働で胸を病む者が絶えなかった。〈初恋を残して村を売り出され〉は、貧困ゆえの娘の身売りである▼石川県で生まれ、本名は喜多一二(かつじ)といった。同じプロレタリア文芸家で、『蟹工船』を書いた小林多喜二に、字づらが似ているのは不思議である。大阪の町工場で働きながら、世にはびこる「非人間性」への怒りを燃やしていった▼その生涯をたどる映画作りが、70周年を機に始まっている。映画監督の神山征二郎さんは去年、人づてに鶴の話を聞いた。こんな人がいたのかと驚き、「もっと世に知られるべきだ」という思いに背中を押された▼「日本の破滅が見えていて、『この道を行くべからず』と叫び続けた人」だと、神山さんは、その人間像を胸に描く。そして鶴の死後、日米開戦から敗戦へと、日本が破滅への道を突き進むのは周知の通りである。内外の苦難への思いを深める8月が、今年もめぐってきた。
日本にとって8月が特別で、それが始まることを訴えたいのか、川柳作家を紹介したいのか。
北京の街を、夏の熱気と靄(もや)が包む。高揚と期待、不穏やナショナリズムが、大気汚染の靄に溶けるように入りまじる。五輪の開催が秒読みに入った7月の言葉から▼実力通りの記録がなかなか出せなかった走り幅跳びの池田久美子さん(27)は、最後の競技会で代表に滑り込んだ。初の五輪だ。「久々に味わう浮遊感でした。逃げなかった自分をほめてあげたい」と目を赤くした▼お母さん選手、クレー射撃の中山由起枝さん(29)は、シドニー五輪では予選落ちした。一度は引退したが、「将来、娘に五輪の話をしても、負けたことしか話せない」と復帰した。娘に捧(ささ)げるメダルをめざす▼祖国ブラジルの選手として男子400メートル障害に出る杉町マハウさん(23)は、日本で暮らす。「心は日本人、向こうの監督に握手でなくお辞儀をしそうになってしまう」。移民100周年の節目に、「両国の懸け橋になりたい」とさわやかだ▼片や、北京からは厳重警備の報道が続く。大枚をはたいて観戦券を買った女性の大学教授(46)は、「どこで爆発が起きるか分からない」と不安がりつつ、「自分の国で五輪なんて一生に一度見られるかどうか。もう少し悩んで決めます」▼反日的な行動への心配もある。昨秋、女子サッカー日本代表は中国観衆の罵声(ばせい)を浴びた。だが試合後、「謝謝」の横断幕を観衆に掲げた。大学生の汪翠霞さん(22)は回想して言う。「日本は試合に負けたけど観客の尊敬を集めた。精神的には勝ったんだと思う。日本に学びたい」。開幕まで、あと8日となった。
生温いエピソードを集めただけ。なにか話の背景とかその辺をもっとまぶさないと。
明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。滝だ」と驚いたそうだ。高い山から海へと急ぐ姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう▼そうした河川が、山がちな日本には多い。神戸市の都賀(とが)川も、デレーケが見たら滝と思ったかもしれない。六甲山系から坂の街を流れ下る。おととい、急な雨で増水し、子どもら4人の命をのみ込んだ▼コンクリートに固められた「せせらぎ」は、市民の憩いの場だった。それが瞬く間に濁流と化した。手なずけていたつもりの動物が、いきなり野性に目覚め、牙をむいた印象である。都市河川といえども、自然の一部に他ならないとあらためて思う▼アウトドアが人気の昨今、人が手を加えた「疑似的な自然」を楽しむ場所が増えている。整備されたキャンプ場や親水公園などだが、油断は禁物だ。ふだんはやさしげに見えたとしても、人間の管理で「自然の牙」が抜けたわけではない▼大正から昭和初期の名登山家、大島亮吉を思い出す。名著『山——随想』を書き、「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」という警句を残した。のちに多くの登山家の胸に刻まれていった言葉である▼大島の言う「山」は、川とも、海とも、そして自然とも置き換えることができよう。自然に親しむ機会の多い夏休みである。大いに楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう。亡くなった4人の冥福を祈りつつ、肝に銘じたい。
せせらぎ
女優の黒木瞳さんが初めて飛行機に乗ったのは、郷里の福岡から大阪への一人旅だった。親が「高校最後の思い出に」と許した、宝塚音楽学校の受験である。別世界の人を見れば夢もさめようと、ご本人も思っていたという。離陸時、座席のイヤホンには「運命」が流れていた(自著『わたしが泣くとき』幻冬舎)▼ここまで格好いい話は例外だろう。宝塚専門の予備校で歌や踊りを鍛えても、約20倍の競争に涙をのみ続け、受験資格の15〜18歳を通過していく少女がほとんどだ▼あこがれのその学校が、来春から入試を一変させる。全受験者に課していた声楽とバレエの実技をやめ、1次試験は容姿や華やかさを見る面接のみに、2次の歌や踊りも基礎能力を重視する▼より多くの人に受けてもらうための見直しだという。受験技術の予習を重ねた子はうまいが、髪形まで似る。そこで、芸事の素人さんにも挑んでもらい、型破りの逸材を見つけたいと▼都内の受験スクールにお邪魔した。黒いレオタードの一群が夏休み返上で特訓中だった。元タカラジェンヌの代表者は「原石を探すといっても、初心者からトップ級は出にくい。受験者を増やすなら、修学旅行生にもっと舞台を見てもらうのが近道です」▼宝塚での2年の学校生活は、校訓「清く正しく美しく」の前に、まず厳しい。芸能界への道筋は増えたのに、毎年約千人の娘たちがその厚い門をたたく。外からは、伝説は十分生きているかに見えるのだが、中には中の考えがあろう。守るべき夢が大きいと手入れも大変だ。
清く正しく美しく
2008年7月25日(金)付印刷 ビルに囲まれた空に入道雲がわいていた。献花台に夏の日が照る。花に埋もれるようにメッセージがあった。「ほんやのおねえちゃん いつもたくさんのえがおをありがとう きっとわすれないよ」。やりきれぬ、突然の終止符である▼東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった。人柄を知る人は「明るく、まじめな人でした」と評している。だが、一昨日までなら、尋ねられれば「明るく、まじめな人です」と答えていたはずだ▼憎んでも余りある凶行が、「です」を「でした」に変えさせた。かけがえのない命を過去のものにした。愛する肉親を、親しい友を、いまや過去形で語らなくてはならぬ人たちの無念は、いかばかりかと思う▼献花台に手を合わせながら、三好達治の詩の一節を思った。〈いいえ昨日(きのう)はありません/今日を打つのは今日の時計……昨日はどこにもありません/そこにあなたの立っていた/そこにあなたの笑っていた/昨日はどこにもありません〉。誰よりも本人が、一番悔しいに違いない▼昨日と今日を断ち切った男は、またも「誰でもよかった」とうそぶく。「親が話を聞いてくれず、事件でも起こせば名前が出ると思った」。33歳とは思えぬ幼稚さと、凶暴性の混在に背筋が冷える▼「ほんやのおねえちゃん」は、だれからも好かれたそうだ。就職を決め、卒論に励み、前向きな意欲に満ちていたと聞く。不平不満を社会や他人のせいだと決め込む愚か者からは、最も遠い人だったのに違いない。
I feel bad...
江戸の昔から食通を堪能させてきたからか、ウナギの出てくる小咄(こばなし)は多い。たとえば、ウナギとタコが鞘(さや)袋を拾う。鞘におさめた刀をすっぽり包む細長い革袋だ。それを股引(ももひき)にするから欲しいと、タコが言う▼ウナギは「8本足の1本だけ股引をはいても仕方なかろう」と自分のものにしようとする。タコが「では、おぬしは何にする」と尋ねると、ウナギいわく「かば焼きの時の火事羽織」▼その迷案もむなしい、きょうの「土用の丑(うし)の日」である。ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。炎暑の店先にのぼりが立ち、香ばしい匂(にお)いが流れれば、つい行列をしてまで食べたくなる。恒例の「国民行事」に、しかし今年は影が差している▼昨年来、中国産への不信が募っている。あおりで国産は値上がりを続けてきた。そこへ水温を保つ重油代などが高騰し、夏場を前に値は跳ねた。国産にこだわれば、店で食べても自宅で食べても、懐はかなり痛む▼「国籍偽装」の後遺症も残る。〈土用前ウナギの沙汰(さた)に食傷し〉と小紙の川柳欄にあった。だまされた後、「国産」と言われて素直に信じられるかどうか。高値に疑心があいまって、ウナギ離れが起きるのではないか。そんな暗雲が土用の日差しを曇らせる▼小咄の一つに、ウナギを焼く匂いで飯を食う男が出てくる。店の主がお代を求めると、銭の音をチャリンと鳴らし、「匂いのお代は音で払う」。かば焼きが高根の花だったころの笑い話だろう。財布の中身をはかりつつ、国産か否かで心が揺れる夏の一日になりそうだ。
今日もいまひとつ。強いて言えば、 ”ウナギいわく「かば焼の時の火事羽織」” かなぁ。
きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米国で会った民俗学者を思い出した。黒人の多い南部の州の大学教授だった人で、奴隷時代からの生活や文化を調べていた。「老人が一人亡くなるのは、分厚い本を一冊失うようなもの」と話していたのが印象に残っている▼彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという。「最高の書物」は「無筆のおばあさん」だと言っていた。この評価は世界中に通じるものがあろう▼「生きている図書館」という活動がいま、欧州で広まっている。こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機会の少ない人たちを図書館が招く。そして「本」として貸し出す試みだという▼来館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。社会の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ▼人にとどまらず、森羅万象を「読もう」と詩人の長田弘さんが書いている。〈書かれた文字だけが本ではない。/日の光り、星の瞬き、鳥の声、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊の本」)▼人にせよ、風物にせよ、いつもとは違った「書物」に出会える夏休みである。心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。
いまいちだなぁ。人の体験、知見を*書物*という表現で表している点にひっかかる。素直な表現をした方が良い。興味深い表現もない。
学ぶのは楽しいし、知識や教養のもたらす滋味は、人生を深めてもくれるだろう
滋味
信長と秀吉に仕えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華を決定づけた。最晩年、狩野家が独占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。激怒した永徳、公家筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。長谷川等伯(とうはく)だ▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創元社)に「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。好敵手現る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから▼東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月17日まで)。美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。国宝・重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される▼永徳の「檜図屏風(ひのきずびょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息を続けて亡くした時期の作という▼二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。作者は互いに目を合わさず、正面に群がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている▼この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創刊120年にちなむ。宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に写楽。通し見て、文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念だと知った。花を見て、花となり、やがて華になる。
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