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何をしようにも、息苦しいのが日本の社会だ———と気づいてから、すでに40年近くが過ぎている。いい歳になってきたから、いまさら何を言われても構わないのだが、反面、表立って、なかなか意想を発しようとしない傾向が強い日本のLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)について考えるとき、どうして、こうも上手く纏まらないのだろうと不思議に感じる。 NHKのディレクターさんにお話を伺ったとき、番組でゲイ・レズビアンを取り上げるとの企画が、制作局の上役ではなく、むしろ同性愛者の知人から「そんなことして、大丈夫?」と心配をされたという話に、僕は苦笑しつつも「なるほど、それか」と思った。 僕の経験からしても、案外ヘテロセクシュアル(ノンケさん)たちのほうが、割り切れる人はスカッと割り切って下さるようで、ゲイだ同性愛だと言っても、文字通り「どこ吹く風」だったりするのである。 オタオタしているのは同性愛者などLGBTのほうだ。僕らセクシュアル・マイノリティーは、無闇なる疑心暗鬼に過ぎて、ただただ故なく、引っ込み思案に陥っているだけなのかも知れないと、つくづく感じることがある。 日本のLGBTムーヴメントは、LGBTの内側を束ねて打って出るのではなく、ひょっこりと外へ出た当事者が、むしろヘテロさんたちと意気投合することで、世の中の意想を(ちょっとずつでも)変化させて行くよう繋いでみる———といった方法が良いのではないかと、図らずも整理できてきたような気がする。レインボープライド愛媛のエディさんと、さっきケータイで話しているときにsuggestしていただいた話の受け売りで恐縮だが。 まさに、LGBTパレードは、ヘテロさんへの顕著で直接的な「投げ掛け」の舞台になり得る。 また諸々、思索を続けてみよう。