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マスコミは野次馬根性を隠すための共同幻想装置だ
あまりにも不謹慎な話なので紹介するのは気が引けるのだが、当時、私は事件記者の同僚と「こうなったら被害者の奥さんと結婚して、そこから事件をたどり直すぐらいのことをやらないと事件記事は書けないな」などと真顔で話し合ったことさえあった。
等質社会が崩壊した中で、自分がどのような立ち位置、どのようなイデオロギー、どの高さの目線で話を聞き、それを記事化しているのかということを、常に問われ続け、そしてその問われた内容は、インターネットのような双方向性のあるメディアによって徹底的に検証されてしまう。そのような時代において、もっとも秀逸なジャーナリズムは、報道のスタンスがどこまで「同じ空間を共有しているか」という空間共有性、当事者性を持ちうるかということを問われなければならない。

すばらしい考察