2009年01月17日 14:30 [Edit]
意味の寿命
宇宙の寿命が100億年かどうかはさておき(実際もっと長そうだ)。
100億年すれば、宇宙は消滅する。だから、生きていることに意味はない。何をしたところで、100億年してしまえば、宇宙自体が消滅してしまう。
それがどんな「意味」であれ、「意味」の寿命がもっと短いのは確かだ。
ドーナツがなければドーナツの穴が存在しないように、「意味」というのはそれだけでは存在しない。それでは意味にとって、ドーナツの穴にとってのドーナツに相当するものはなんだろうか。
「意識」、だろう。
だとすれば、「あなたにとっての意味」というのは、それがどんな意味であれ、あなたの寿命以上の長さを持ち得ない。「私にとっての宇宙の意味」も、私が死ねばなくなってしまう。仮に宇宙の寿命が無限だとしても、その意味において「意味」というのは元から「なくなってしまう」ものだったのだ。
しかし、「なくなってしまう」ということは「元から何もない」のとは違う。少なくとも「意識」にとってみれば。「意識」はすでにそこにある。「意識」を意識して過ごしてきた日々もそこにある。「なかったこと」にはもはや出来ない。
なのに、勉強するだとか、人を助けるとか、必死に生きるとか、そういう、世の中で「意味がある」とみなされていることに、何の意味があるのだろうか?
意味は、ある。意識ある限り。
意識の消滅とともに「なくなる」のも確かだが、それは「ない」のとは異なる。
「100億年すれば、宇宙は消滅してしまう」
それ以前に
「100年すれば、自分は消滅してしまう」
という命題を哲学はかかえてきたし、これからもかかえ続けることになる。
私が死ねば、「私にとっての意味」はきれいさっぱりなくなる。私がやってきたことはある程度は残るだろうけど、それはもはや「私にとっての意味」ではなく、「遺族にとっての意味」になる。
これは、実にありがたいことだ。自分に寿命があり、自分にとっての意味もまた寿命があるということは、「意味」について考えることにもまた寿命があるということなのだから。
「宇宙にとっての自分の意味」を考えるのは、「自分」からしてみれば「無意味」。
しかし、「自分にとっての宇宙の意味」を考えることには、「自分」がある限り「意味」がある。
「勉強するだとか」、「人を助けるとか」、「必死に生きるとか」というのは、「自分」にとっての意味であって、世の中にとっての意味ではない。というか、世の中にとって意味があるかどうかは「私」には無意味だ。
「ない」と「なくなる」には、違う。
この違いに意味を見いだすかどうかが、意味そのものに意味を見いだすかの違いなのではないか。
Dan the Mortal
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考えてる人間が多くなったから
日本の経済が下り坂なんだよ。
適当に生きて、
適当に子孫作って、
適当に金使って、
死ぬだけ。
意味を「求めてる」じゃね
疲れてるのかな。
意味って元々はなくて,
生きることで作っていくんだと思います.
宇宙を基準に考えると小さくても,
私からしたら,人生って壮大過ぎますよ.
また、「ある」「ない」の問題は唯物論的に考えてみても、
ちょっとむずかしいのでは?
「意味」を感じる、という意味では確かに「意識」は必要なようです。
しかし、まさにここにある宇宙においての「意味」の受容は、
価値判断とは少し質が違うように感じられます。
「ない」と「なくなる」の違い。
要は「ない」はない。「ない」は受容できない。
よって「ある」とも言えるし、「ずーっとあった」とも言える。
あると言えばある。ないと言えばない。
そんで、「人生」となると、凡人ゆえ「価値判断」が多くなってきますので、
別の話かなあと。詩人なんかは意味と価値判断が同じ人なんだろうなと思います。
「この命題に打ち勝てるような哲学は存在しないと思う。」
と書いてますが、とっくの昔にニーチェが通った道だと思います。
自分にとって、世界がどんな意味があるかを考えていくことが生きていくということでもあるということですね。
だから、好きなことをして生きていける。
意味のない社会万歳。
後期ウィトゲンシュタインじゃね?
#こんな時間に何やってんだろう、オレ。
原子がなくなった宇宙でも生き続ける
電子と陽電子のゆるく結びついた電子・陽電子ガス生命体
というのを考えてますね。
100億年たってもしぶとく生き続けると……
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と
我(アートマン:個人を支配する原理)は、
同一であるという。

